2026年9月28日
「ビジネスパーソン」って誰のこと?
カフェインの抜き方から、リベラルに必要なのは好かれる勇気、「使わないと理解できない」千のプラトー講座の話へ。表題は、こっ恥ずかしさが消えた「ビジネスパーソン」という言葉の変遷——労働者って言えよ、普通のマルクス主義が必要だ。後半は松濤美術館に巡回した「路上、お邪魔ですか」と、建てることからの撤退。
話の流れ
- 0:23二人とも眠いここからぶち上げていかなくてはいけない。
- 1:53カフェインの抜き方教えてください弾みが大事。物の弾みでこのまま飲まないでいく。
- 4:39杖としてのカフェイン真っ暗な部屋を手探りで進むときの壁。
- 8:49男の子のまんま問題セルフネグレクトという言葉への微妙な警戒。
- 10:17哲学無頼派と批評無頼派カルチャー無頼派は僕も全然好きじゃないけど。
- 10:56リベラルに必要なのは好かれる勇気綿野恵太のツイート。進学校のヤンキー。
- 12:50一周目で通じる会話はだるい知ってることの確認で終わる。
- 13:55相対主義をインストールできてますよね分かり合えないと分かり合う、キラッ。
- 14:30千のプラトーは理解すべきものではないフィロシャピーの講座が始まった。
- 15:34使わないと理解できない使った後に初めて理解したことが確定する。
- 18:26ジャズ喫茶よりディスクユニオン100円レコードでビートを作ると元ネタへのリスペクトが湧く。
- 20:40ビジネスマンが人文書を読む?普通に一人の人間として読むもんだと思う。
- 21:30こっ恥ずかしさが消えたビジネスマンという言葉の10年。
- 24:03ビジネスパーソンと言い換えても労働者って言えよ。普通のマルクス主義。
- 25:50ノン・オブ・ユア・ビジネスビジネスは領分。土地を取ったもん勝ちのゲーム。
- 28:38成熟と喪失と夫婦ザ社会雇用の流動化が「働いてる人全員」の言葉を要請した。
- 30:13展がつくと人が来るギガマート展じゃないとダメです。
- 31:28超芸術トマソン限界オタクサークルの連綿たる精神性。
- 34:24ギリヤーク尼ヶ崎本人がいた手拍子しながら見ているおじいちゃんが本人だった。
- 36:27ポスト壊れた機械モデル否定した有用性と改めて関係を結び直す。
- 38:10トマソンとChim↑Pomの両極どちらも美術館という閉じた箱の前提に乗っている。
- 40:16シェアード・グラウンドという結論先取り路上にそんな含意はない。
- 41:08路上のユートピア化疎外論的な図式になっている。
- 45:09シルクロードとか路上じゃん一帯一路が入ってきたらめっちゃクリティカルだった。
- 47:10タオ、道神じゃなくて道なのがすごくいい。
- 49:50映画回は疎の街の入会率がいい映画について語ることの座りの良さ。
- 51:40ノーランはダークナイト微妙に鈍重な感じが結局一番いい。
- 55:18運動神経悪いやつの体の面白さ東浩紀がノーランを好きなのも分かる。
- 58:48出すタイミングをコントロールする作者魚豊の3作同時連載発表。書かされる連載の逆。
- 59:58匂わせの言質すら渡さないナガノデカツヨの予兆だけが垣間見える。
- 1:04:43建てることからの撤退8年前の批評と、変わっていなかった状況。
- 1:08:25建てることへの希望がないリサーチとリノベーションしかないのか。
- 1:11:30ザハ・ハディドと木の国立競技場木だったらみんな日本だって思うんだ。
- 1:15:30疎の街オフラインイベント座布団だけ持って公園に集まる。
- 1:17:06公園こそシェアードグラウンド住人とプレイヤーの違いだけがある。
- 1:18:53役割が欲しい福尾はワンマンライブで物販かもぎりをやりたい。
この回で出てきた言葉
- 一周目で通じる会話はだるい「確かに僕もそれを意識しなきゃいけないと思いました」という会話への苛立ち。
- 運動神経悪いやつの体の面白さノーラン談義から。
- カフェインの抜き方教えてください先週のカフェイン断ちの話にリスナーからコメントが来た。
- 神じゃなくてタオ人生劇場にはストリートより上の「タオ」も出てくる、という話から。
- 疎の街オフラインイベント建てることから撤退し続けると抽象論にしかならない——疎の街も場所を持とう、ということで疎の街限定のオフラインイベントをやることに。
- 建てることからの撤退福尾が8年前(25歳頃)に書いた建築批評のタイトル。
- 男性的なセルフネグレクトTaiTanの「男はいつまで経っても男の子のまんますぎる」発言から。
- 使わないと理解できないフィロシャピーで始まった千のプラトー講座から。
- 「展」がつくと人が来るTaiTanの企画でギガマートをやったとき、「ギガマート展じゃないとダメです」と言われた——展の方が圧倒的に人が来るから。
- 匂わせの言質すら渡さないナガノちいかわの考察文化について。
- ビジネスパーソンって誰のこと?「ビジネスマンが人文書を読む」という流行への違和感から。
- 批評無頼派カルチャー無頼派だけでなく、哲学無頼派も批評無頼派もいる——めっちゃいる。
- ポスト壊れた機械モデル壊れた機械と変だけど動く機械の先を指す荘子itの言葉。
- 真っ暗な部屋の壁としてのカフェインコンビニでコーヒーを買うのは、福尾にとって杖みたいなもの——真っ暗な部屋を手探りで進むとき、壁を触って歩いているととりあえず進んでいることが分かって安心する、その壁。
- リベラルに必要なのは好かれる勇気批評家の綿野恵太(『「逆張り」の研究』『みんな政治でバカになる』)のツイートから。
- 路上、お邪魔ですか金沢21世紀美術館から渋谷の松濤美術館に巡回した展示。
- 路上のユートピア化路上、お邪魔ですかのタイトルへの福尾の批評。
この回からの引用
カフェインの抜き方教えてください。いやいやいや、なんで、薬中。抜き方ってなんだよ。
弾みが大事なんかやっぱり。今日から抜くぞってなるとやっぱりしんどいけど、あれなんか2、3日飲んでないぞみたいな、物の弾みでね、このまま飲まないでいくかっていうのが適切ね。
僕ねほんとね、杖みたいなもんなんだよ、コンビニでコーヒー買うのが。真っ暗な部屋を手探りで進むときに、壁とかあって、それ触って歩いてると、とりあえず進んでるってことは分かって安心するみたいな。
先週ね荘子くんがそのバーっと喋っちゃうの、自分を傷つけてるだけだから良くないよみたいな風に言われるとめっちゃ嫌だみたいな風なこと言ってたと思うけど、それとやっぱ似たような話だと思うんだよね。
哲学無頼派だね。哲学無頼派もあるし批評無頼派もあるし。批評無頼派いるよな、めっちゃいる。
→ 批評無頼派
リベラルはなんかそういう、ある種のそういうアドラー的な無頼派っていうかさ、嫌われてもこれが正しいからこれをやるのが大事なんだとか、なんかそういうことをずっと言ってきたわけだけど、普通に好かれるの大事じゃねみたいなことだと思うんだよね。
なんか通じなくてもいいですよねってことを我々は理解してますよねっていう、すごいメタな共通前提みたいな。
そんなに簡単に人の気持ちが、相対主義ね、相対主義をインストールできてますよ確かめ合いみたいなね。そんなにやっぱり主張ぶつけ合っても仕方がないってことを僕たちは分かっていますよねキラッみたいな。
本というものを理解すべきものだと思ったら終わりっていう、使えばいいんだっていう風に言ってるんだよね。
僕が思うのは、使わないと理解できたかどうかわかんないわけだから、結局、使ったことによって理解したことになるっていうか。つまり自分の頭の中での理解っていう出来事が仮に発生したとして、それがその後一生何のアウトプットもされなかった、その理解ってないのと一緒だから。
ジャズ喫茶で永遠とジャズの名盤を聞くっていうのに対して、ディスクユニオンでペーっていっぱい100円のジャズのレコード持ってきて、それで自分でビート作ってみるみたいな。だんだん元ネタへのリスペクトが湧いてくるみたいな。
ビジネスマンっていう言葉に対するさ、こっ恥ずかしさみたいなものがさ、多分ここ10年くらいで急になくなってる。
要するに、非正規労働者も正規労働者も、会社員も、個人事業主も、実業家も、全部ひっくるめて働いてる人を総称するためにビジネスマンって言ってる、すごい便利な言葉として言われてて。
ビジネスパーソンってね、労働者じゃん。労働者って言えよ。
ギガマートって名前にしたかったんだけど、ギガマート展じゃないとダメですって言われたみたいな。なぜなのか。展の方が売れるからみたいな。
赤瀬川原平がさ唱えた超芸術トマソンっていう概念にのっとってさ、なんかいろんな仲間たちが街中に出て、もうわけわかんない超意味ない建物とか意味ない階段とか写真を撮って収集してるっていう、本当なんか限界オタクサークルみたいな。
映像展示でなんかその当時を知ってるおじいちゃんがなんか手拍子しながら見てるなーみたいな、ほっこりするなと思ったら、よく見たら本人じゃね?みたいな。
それが完全に否定した有用性みたいなものと改めて関係を結び直すっていう、そこがすごい福尾のポスト壊れた機械モデルの面白いとこだなと思って。
かなり結論先取りしてるっていうかさ、元々の日本語のニュアンスにそんな、路上ってシェアードグラウンドだよねみたいな合意ってそこまでないと思うし。
そこら辺のだからすごいユートピア的なんだよね。
タオが道ってすごくいいと思ってて。神じゃなくてタオなのがすごくいいんだよな。
→ 神じゃなくてタオ
中国の一帯一路構想の話とか入ってきたらめっちゃクリティカルだった。シルクロードとか路上じゃんみたいな。
終着地点があるとかさ、唯一神がいる感じじゃなくてさ、道なんだみたいな。
→ 神じゃなくてタオ
それはもちろん蓮實重彦みたいな運動神経いいやつからすると、なんかアクション取り方下手だなみたいな話なんだけど、運動神経悪いやつの体の面白さあるんだよみたいな。
今の本当のクレバーな作者って、魚豊しかりナガノしかり、自分で出すタイミングとかコントロールしてるなっていうのをすごく強く感じるよね。
ナガノに関しては本当になんか匂わせに見えるんだけど、匂わせだっていう言質すら渡してくれないみたいな、すっごい絶妙な距離感でやり続けてる感じある。
建てることからの撤退っていうタイトルで、もう建築家、建てるってことを肯定できなくなっちゃってるよねって話をしたんだよね。
建てねえ奴が建てることからの撤退とか言ってんじゃねえよみたいな。俺ら建てんだよみたいな。
建てるってことに対してポジティブな希望を持ててる人って、今の若い人たちにもあんまりいないんだなってことが分かった。
マジで自分の座布団とかだけ持ってきてくださいみたいな。
公園こそシェアードグラウンドだな。