建てることからの撤退
たてることからのてったい
福尾が8年前(25歳頃)に書いた建築批評のタイトル。
番組より
建てることからの撤退っていうタイトルで、もう建築家、建てるってことを肯定できなくなっちゃってるよねって話をしたんだよね。
建てねえ奴が建てることからの撤退とか言ってんじゃねえよみたいな。俺ら建てんだよみたいな。
建てるってことに対してポジティブな希望を持ててる人って、今の若い人たちにもあんまりいないんだなってことが分かった。
この項目について
貝島桃代の『メイド・イン・トーキョー』やヴェネチア・ビエンナーレの「建築の民族誌」——建てるのではなく、現存する建築をリサーチして図面に起こし直す実践がもてはやされるのを見て、建築家が「建てる」ことを肯定できなくなっているよねと書いたら、建築専門でもない若造が、とめちゃめちゃ怒られた。8年後、明治大学の院生たちの『置き配的』読書会に呼ばれて発表を聞いたら、状況は変わっていなかった——リサーチとリノベーションとコミュニティデザイン(現地のニーズを掬い出すファシリテーター的な構え)しかなく、建てることにポジティブな希望を持てている若い人がいない。ただ建てたいなら大手の設計士になれば建つが、作家性を持ちたいと思ったら建てられない——建てるという職能と作家性の結びつきが失われている。
この項目が出てくる回
関連項目
- ビジネスパーソンって誰のこと?「ビジネスマンが人文書を読む」という流行への違和感から。
- 使わないと理解できないフィロシャピーで始まった千のプラトー講座から。
- 一周目で通じる会話はだるい「確かに僕もそれを意識しなきゃいけないと思いました」という会話への苛立ち。
- リベラルに必要なのは好かれる勇気批評家の綿野恵太(『「逆張り」の研究』『みんな政治でバカになる』)のツイートから。
- 男性的なセルフネグレクトTaiTanの「男はいつまで経っても男の子のまんますぎる」発言から。
- 路上のユートピア化路上、お邪魔ですかのタイトルへの福尾の批評。
- ポスト壊れた機械モデル壊れた機械と変だけど動く機械の先を指す荘子itの言葉。
- 路上、お邪魔ですか金沢21世紀美術館から渋谷の松濤美術館に巡回した展示。
この項目に言及している項目
- 運動神経悪いやつの体の面白さノーラン談義から。
- カフェインの抜き方教えてください先週のカフェイン断ちの話にリスナーからコメントが来た。
- 神じゃなくてタオ人生劇場にはストリートより上の「タオ」も出てくる、という話から。
- 疎の街オフラインイベント建てることから撤退し続けると抽象論にしかならない——疎の街も場所を持とう、ということで疎の街限定のオフラインイベントをやることに。
- 「展」がつくと人が来るTaiTanの企画でギガマートをやったとき、「ギガマート展じゃないとダメです」と言われた——展の方が圧倒的に人が来るから。
- 匂わせの言質すら渡さないナガノちいかわの考察文化について。
- 批評無頼派カルチャー無頼派だけでなく、哲学無頼派も批評無頼派もいる——めっちゃいる。
- 真っ暗な部屋の壁としてのカフェインコンビニでコーヒーを買うのは、福尾にとって杖みたいなもの——真っ暗な部屋を手探りで進むとき、壁を触って歩いているととりあえず進んでいることが分かって安心する、その壁。