シットとシッポ Wiki

壊れた機械と変だけど動く機械

こわれたきかいとへんだけどうごくきかい

現代美術には2つの系統がある、という福尾の整理。

初出
脳出(2026年9月21日)

番組より

僕がなんか思ってたのは、現代美術って2つ系統があるなと思って。

ただその壊れた機械モデルの批評的な視座の問題だと僕が思うのは、結局それって美術館っていう箱の権威とかに依存してるんだよね。

例えばやっぱアンディ・ウォーホルとかって全取りしてるわけ。美術史的な文脈でも評価できるし、大衆文化論的な文脈でも評価できるし、あらゆるアングルから評価できるみたいな、謎の奇跡みたいなのがたまに起こるんだよ。

この項目について

一つはデュシャンの泉——道具として機能していた小便器を文脈から引き抜いて横倒しに置き、物体としてのありようを見せる「壊れた機械」。もう一つは自動車冷蔵庫のように、変なんだけど、ちゃんと機能している機械を作るアート。福尾は後者が好き。壊れた機械モデルの批評は、結局美術館という箱の権威に依存している——作品概念をどんどん拡張して外部を包摂していく今の政治的な使われ方も、箱の権威があるからできることで、資本主義の論理と同じ限界がある。美術というフィールド自体が何かを動かしている機械だと考えれば、泉もあみだ湯も変な機械として眺められる。アンディ・ウォーホルの『エンパイア』のように、いい作品はあらゆる角度から批評的な価値づけができる「全取り」の奇跡が起こる——それが他ジャンルにない現代アートの面白さ。

この項目が出てくる回

関連項目

韻を踏んでいること

この項目に言及している項目