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2025年9月15日

ふたりで靖国神社に行ってみた

近代美術館の戦争画展を観に行ったら月曜で休館。すぐ近くだからと靖国神社の遊就館へ。 刀と和歌だけで由緒の空気が作られた「無時間的な間」、屋根と根の話、 そして戦前の左翼知識人の転向が「実家に帰ること」としてなされたという話から 「実家的なリアリティ」へ。手紙というエゴドキュメントがナショナリズムに使われることの転覆。

放送日
2025年9月15日
長さ
1:10:32

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話の流れ

  1. 1:40月曜だった
    戦後80年記念の近代美術館の展示を観に行ったら休館日。真逆だが近くにある靖国神社の遊就館に行くことにした。
  2. 2:30いま辻田真佐憲をみんな見ている
    福尾もTaiTanも荘子itも辻田真佐憲の動画を見ている。歴史を振り返りましょうという話をYouTubeでみんなが見ているのは、10年代ではありえなかった空気。
  3. 5:50拝見してくださいという構え
    客観的な歴史の蓄積として見せるのではなく、散っていった祖先に思いを寄せる、参拝と連続性のある形で作られた博物館。そこがまず全然違う。
  4. 6:30無時間的な間
    最初の部屋には刀が一振りと、時代の違う和歌が四つ。刀は明治の元帥に配られたもの。いつのものか分からないものが並び、由緒がありそうという空気だけが作られている。
  5. 7:40新選組は祀られていない
    尊王攘夷の明治維新側に対して旧幕府軍についていたので、靖国的な国家観からすると賊軍にあたる。大河ドラマで英雄として育った身からすると面白い。
  6. 10:00誰一人として海外が王だとは言っていない
    新選組も明治維新の人々も、改革派・保守派という以前に、みんな「こっちが本当に日本にとっていい」と歴史に接続した筋を持って戦っていた。
  7. 11:40語られなくなった戦前の理想
    大東亜共栄圏という理想の犠牲になって死んだ人を祀る神社の博物館で、その理想にほぼ触れずに終わる。「結果としてそうなりましたが、そうしようと思ったわけではありません」という語り口。
  8. 18:10屋根と根
    屋根は文字通り根を張っている。竪穴式住居では半地下の家の屋根が地面に置かれていた。地に足のついた家の感覚と、天井=天皇や神は本来接しているはずなのに、離れているのに離れていないことにしている。
  9. 19:20八紘一宇と一つ屋根の下
    天皇を中心にみんな家族なんだ、というイメージ。だから屋根は重要なモチーフ。
  10. 19:40転向は実家に帰ること
    丸山眞男『日本の思想』と鶴見俊輔の戦時期精神史。取調室で親子丼を出して「お前にも実家に父母がいるだろう」と促す。刑事ドラマのクリシェの起源は、左翼知識人を転向させる手口だった。
  11. 23:00実家的なリアリティ
    リベラルが頭でっかちでお花畑で現実を見ていないと言われるとき、その「現実」は基本的に実家的な現実のこと。一面正しいし、だけど、というジレンマ。
  12. 23:40現実から遊離していない批判
    荘子itの妻の沖縄の家族は現政権に批判的だが、現実から遊離している感覚がゼロ。立場によってリアリティが全然違う。昭和天皇の全国巡幸には「ただし沖縄を除く」があった。
  13. 27:00慰霊と博物館が同じ施設にある
    博物館としてはあまりにエモすぎる構成。もっとまともな歴史博物館が日本に作られるべきだが、それは慰霊のための施設と切り離せるかという問題でもある。
  14. 29:00エゴドキュメントのナショナリズム利用
    手紙は本来、公式見解に押し殺された声なき人の声を表すものとしてリベラルな文脈で使われてきた。それが愛国のモチーフになっているのは奇妙な転覆。
  15. 41:08空間的なものの話をずっとしている
    靖国も、キリスト教が日本に根付くべきだという姿勢も、結局は空間の話になっている。
  16. 43:59見晴らし世代
    同世代の監督の映画。団地やベッドタウンの「なんとか台」のような響きのタイトル。父親のランドスケープデザイナーが息子の映画をインスタで宣伝していた。
  17. 52:04声と出口
    ニック・ランドはリベラルを「声の政治」と皮肉る。現代は声の時代で、その声がカセドラルを作っている。それに対置されるのがイグジット=出口。
  18. 53:36お気持ちと実感
    声と出口の対比が日本にあるとしたら何か。「お気持ち」と「実感」ではないか。本当は同じ意味のはずなのに、お気持ちと言った途端に現実離れしたものにされる。
  19. 54:26本音のゾーンがあらかじめ決まっている
    本音主義が問題なのではない。保守的なものは本音として受け取ってもらいやすく、リベラル寄りの本音は本音と思ってもらえない。その分割はなぜこうなっているのか。
  20. 55:52男同士の本当の気持ちは言葉にされない
    『見晴らし世代』の父と息子の和解——和解ですらないもの——は完全に非言語的に行われる。数年ぶりに家族を集めて、ただ二人でカレーを食っている。

この回で出てきた言葉

この回からの引用

いつのものか分からないものがバーっとあって、なんか由緒ありそうみたいな空気だけがほとんど作られてるみたいな。

無時間的な間

そこがもう離れちゃってるのに、離れてないですよという面を押してるからおかしなことになってるっていうのが、一番クリティカルに思ったことだな。

屋根と根

当時の左翼知識人の転向っていうのが、ある種の帰省というか実家に帰るみたいなこととしてなされてた。

実家的なリアリティ

リベラルがある種頭でっかちでお花畑で現実を見てないって言われるときの、その現実って基本的に実家的な現実のことだと思うんだよね。それは一面正しいし、だけど、みたいな。

実家的なリアリティ

お気持ちって本当は実感と同じ意味のはずなんだけど、お気持ちって言った途端に、現実離れしたお花畑的な何かみたいなものとされてしまう。それに対して実感っていうのは、本当の本音みたいな、生活に根差した民衆の声みたいな。

お気持ちと実感

本音主義が問題なんじゃなくて、本音とされるもののゾーンがめっちゃあらかじめ決まっているっていうことが問題なんじゃないか。リベラル寄りの本音っていうのは、本音が本音と思ってもらえないようなシステムになってる。

お気持ちと実感