お気持ちと実感
おきもちとじっかん
ニック・ランドはリベラルを皮肉って「声の政治をやっている人たち」と呼ぶ。
番組より
お気持ちって本当は実感と同じ意味のはずなんだけど、お気持ちって言った途端に、現実離れしたお花畑的な何かみたいなものとされてしまう。それに対して実感っていうのは、本当の本音みたいな、生活に根差した民衆の声みたいな。
本音主義が問題なんじゃなくて、本音とされるもののゾーンがめっちゃあらかじめ決まっているっていうことが問題なんじゃないか。リベラル寄りの本音っていうのは、本音が本音と思ってもらえないようなシステムになってる。
この項目について
現代は声の時代で、その声がカセドラル(大聖堂)を作っている—— 大学も主要メディアも「リベラルが当たり前ですよね」という前提になっている、と。 それに対してランドが置くのが「イグジット=出口」で、 声と出口という妙なカテゴリー違いの対立になっている。 言いたいことは分かるが、その対立自体がきわめてヨーロッパ的だ、と福尾は言う。 では、声と出口の対比が日本の中にあるとしたら何なのか—— それは「お気持ち」と「実感」ではないか。 この二つは本当は同じ意味のはずなのに、「お気持ち」と言った途端に 現実離れしたお花畑的な何かにされてしまい、 「実感」のほうは生活に根ざした民衆の本音として扱われる。 つまり日本の問題は本音主義そのものではなく、 本音とされるもののゾーンがあらかじめ決まっていることのほうだ。 保守的なものは本音として受け取ってもらいやすいが、 リベラル寄りの本音は本音と思ってもらえないようなシステムになっている。 荘子itは「声も出口も、お気持ち/実感から見れば外側のもの。 本当の内側の真実はどっちなんだ、という話だよね」と受ける。 のちの疎密(密=ノイジーマイノリティ/疎=サイレントマジョリティ)や 言語化と対比すべきはお気持ちにつながっていく対。
この項目が出てくる回
関連項目
- 実家的なリアリティ丸山眞男『日本の思想』と鶴見俊輔の戦時期精神史を読んでいた福尾が見つけた線。
- 無時間的な間遊就館の最初の部屋を福尾がそう呼んだ。
- 屋根と根遊就館の中ほどに改修工事のときの靖国神社の屋根が置いてある。
- エゴドキュメントのナショナリズム利用遊就館の最後には戦没者の手紙や写真が集められた部屋が続く。
- 拝見してくださいという構え遊就館は「見てください」ではなく「拝見してください」という、拝んで見る対象として リプレゼンテーションされている。
- 男同士の本当の気持ちは言葉にされない『見晴らし世代』で、父と息子の和解——和解ですらないもの——は 完全に非言語的に行われる、と荘子itは言う。
- 辻田真佐憲靖国問題をまとめて話すラジオやYouTubeの動画を、福尾もTaiTanも荘子itも見ている。
- 丸山眞男『日本の思想』。