2025年5月5日
大二病再考、あるいは荘子it=ラッセン問題への解答、そして不用意に前提される「つらさ」について
番組名が「シットとシッポ」に決まったあとの回。画質の悪さがなぜエロく感じるのかという話から 「あらゆるものはフェティッシュだ」へ、そして大二病と社会人2年目の病、 「みんな辛い」を前提にすることへの違和感、建蔽率と寂しさ、 最後は失踪した友人の話まで。番組の骨格になる概念がまとめて出てくる回。
話の流れ
- 0:12第0回か第1回か前回が「第0回 名前はまだない」になった。福尾は「なかなかだな」と思ったが言わなかった。
- 0:45喉に刺さった小骨福尾は思ったことをその場で言わず後で文章に書く。日記が家庭内のコミュニケーションツールとして機能していた話。
- 4:28ひらめきに責任を取る荘子itは配慮して前置きするより、思いついたパッションは自分しか持っていないのだから自信満々に一回出す。それで却下されるならそのアイデアが雑魚だっただけ。
- 7:09番組名が決まった第1回を撮ったあとに「シットとシッポ」という名前が決まった。回数表記をどうするかという事務連絡も。
- 8:49ピカピカブーは網タイツではない子供番組の映像に漂う「エロさ」の正体。よく見ると網タイツではなく膝丈のチェック柄だった。
- 10:20画質の悪さはなぜエロいのかニコニコ動画のガビガビ画質で見たタルコフスキー。4Kリマスターのほうが嘘に感じる。ビートメイクでも元ネタにないレコードノイズをあえて足す。
- 15:26あらゆるものはフェティッシュであるメディアは向こう側に到達するための媒介なのに、媒介そのものの質感に欲望が向かう。本来こうあるべきというものがないなら、疎外も何もない。全員が疎外されているとも、疎外は発生していないとも言える。
- 16:57環境と社会は違う社会は誰かが作ったものによって成り立っている。すでに作られたもののなかに放り込まれて自分も作っていくのが人間で、ゼロからのスタートはありえない。『非美学』で書いた話。
- 18:24デジタルネイチャーへの違和感落合陽一的な統合は「自然」を深刻化しすぎている。自然から切り離されていること自体を、フィクションとして肯定するところまで行くなら面白い。
- 21:21作為的にしようとして作為しているわけではない新曲「パール」。プログレッシブにしようとしているのではなく、これしかないというポイントを探っている。
- 22:28マーズ・ヴォルタで通じ合う福尾が高校時代に一人で聴いていたThe Mars Voltaを、荘子itも同時期に聴いていた。荘子itはTaiTanや没に聴かせたが最初は反応が悪かった。
- 26:00蒲田のタイヤ公園福尾は収録スタジオまでの道すがら、荘子itの子供時代の土地を辿りながら来ている。
- 29:30パールは5分あってよかったDos Monosの曲は2分でも30秒に感じる。5分あると何が起こっているかを感じながら聴き通せる。
- 34:24大二病を再考する大谷能生の言葉。中二病とは違い、大学2年生が背伸びして触れるもの。哲学や批評も本来は大二病的なものだったはずだが、今そういう憧れられ方をしなくなった。
- 37:06社会人2年目の病人文系のリーチする層が大人向けになり、みんな疲れて辛いという前提が置かれている。そこに乗りたくない。社会人1年目に何度でも戻ればいい。
- 40:00不用意に前提される「つらさ」コンテンツが溢れるなか、同時代性で人を掴むのは辛さの共有になっている。傷の舐め合いに与しないのは茨の道。
- 41:24ベタがないとメタもないSOUL'd OUTのDiggy-MO'は今では半笑いの対象にされがちだが、中学生の荘子itはマジでかっこいいと思って聴いていた。そのリスペクトは倫理として守る。荘子it=ラッセン問題への解答でもある。
- 43:00論破とベタの縮小「それはあなたの感想ですよね」の世界ではベタに没頭できる時間がなくなっていく。
- 43:065分間だけ神になるポップスターのライブは宗教でしかない。そうではなく、熱中しているときは熱中しているが、一歩引けば笑い飛ばせる。出入りできること自体がハッピー。
- 47:55荘子が妻の死に踊った話妻が死んだと聞いて訪ねた知人が、荘子が一人で踊っているのを見た。すべては移りゆくものだと自分でも言っているのだから悲しむことでもない、と。
- 49:01寂しさが消えた2015年ごろまで人はもっと寂しそうだった。今は「寂しい」と言う場所がない。寂しいが消えて辛さと怒りが横行している。
- 52:01建蔽率自意識という建物が敷地いっぱいに膨らみ、門と玄関の間のスペースが潰れている。そのスペースこそ我々が寂しさと呼んでいたもの。だからみんなすぐ怒る。
- 54:47新作のテーマは自由前作『Dos Atmos』が自分たちを規定するものを作品化して晴れやかになる作品だったとすれば、今度は自由そのもの。太陽と月のイメージ。
- 59:20失踪した友人大学時代、ドゥルーズの話をする唯一の相手だった親友が失踪した。その師匠だった佐久間はダウン症の子供たちのアトリエを運営していた人で、かつては統合失調症の人たちと山ごもりして向き合うハードコアな実践をしていた。
- 1:06:00しっぽ先生無条件に先生として話せる相手がいるのがいい、という話。「しっぽ先生がある日失踪するかもしれない」。
この回で出てきた言葉
- あらゆるものはフェティッシュである画質の悪い映像やレコードのノイズに反応してしまうのは、メディア経験の刷り込みなのか、 原理的なことなのか。
- Андрей Тарковскийニコニコ動画のガビガビの画質で見た原体験があるため、4Kリマスターのほうが嘘に感じてしまう、という例として挙がる。
- 伊藤亜紗帯文を書いた人として言及される。
- 大谷能生「大二病」という言葉を考えた人として紹介される。
- 落合陽一デジタルネイチャーを、デジタルに埋め尽くされたものも自然として捉え返す東洋的な統合として紹介するが、 福尾は「むしろ逆で、自然というものを深刻化しすぎている」と応じる。
- 環境と社会は違う『非美学』で書いた話として福尾が持ち出す。
- Kendrick Lamar器用で何でもできてしまう例。
- 建蔽率福尾の比喩。
- 5分間だけ神になるポップスターのライブは、ファンダムが思い描くスターがステージに立っているという意味で 宗教でしかない。
- 佐久間荘子itの失踪した親友が弟子入りしていた人物。
- 寂しさの消失2015年ごろまで人はもっと寂しそうだった、という福尾の現状認識。
- The Eraser福尾が収録に向かう道中で聴き返したアルバム。
- しっぽ先生荘子itが福尾を呼ぶときの言い方のひとつ。
- 社会人2年目の病大二病の反対側にある病。
- SKY-HIBMSGの番組で荘子itがMC的な仕事をした。
- 荘子it=ラッセン問題この回のサブタイトルにある。
- 大二病大谷能生の言葉とされる。
- Diggy-MO'今では半笑いの対象にされがちだが、中学生の福尾はマジでかっこいいと思って聴いていた。
- Dos Atmos前作。
- 喉に刺さった小骨「それちょっときつくないか」と言うほどではないが飲み込めない、という感じのことを 福尾はしがちで、言わないまま帰り道に反芻する。
- Pearl2025年5月7日リリースの新曲。
- ピカピカブー子供番組の歌。
- 不用意に前提されるつらさみんな疲れているしみんな辛い、という前提の上に人文系のコンテンツが積み上がっている状況への違和感。
- Frances the Mute荘子itが今も車でリピートしているアルバム。
- ベタがないとメタもないSOUL'd OUTのDiggy-MO'は今でこそ半笑いの対象にされがちだが、 中学生の荘子itはマジでかっこいいと思って聴いていた。
この回からの引用
メディアって本当はその向こう側にあるものに到達するための媒介のことをメディアって言うわけだけど、その媒介そのものに宿る質感の方に欲望が向いちゃうっていう。
あらゆるものは何かしらのフェティッシュなんじゃないかみたいな。
社会っていうのは誰かが作ったものによって成り立ってるっていうのが違う。誰かが作ったものを通して自分もその中で何かを作っていくっていうのが人間の生き方で。
→ 環境と社会は違う
本当は哲学とか批評も大二病的なものであったはずなんだけど、今多分そういう憧れられ方ってあんまりしなくなってる感じがして。
→ 大二病
大二病ってものがそもそもだから、温存されるべき病なのかとかもわからないしね。
→ 大二病
みんな疲れてるしみんな辛いっていう前提で考えを述べていくみたいな、そこ僕あんま乗りたくないなと思ってて。
社会人2年病、こじらせて社会人40年病まで、なんかそういうずっと諦めに満ちた顔でやっていくのかお前らみたいな。
→ 社会人2年目の病
そういうしんどさとか、なんかこの辛さみたいなものを抱きしめ合いたいみたいな、ある種の傷の舐め合いの方が、今の同時代のコンテンツには多分求められてるんだよね。
そのベタがないとメタもないでしょっていうところは、やっぱり常に一つの倫理として守っていかないといけないなと思う。
いつでも入れ替え可能なんだよっていう、でもその5分の曲の間は俺は神なんだよっていう。
何もかも出入りしていいんだというハッピーさを、やっぱ一番至上の価値だと思ってる。
15年ぐらいまで、人はもっと寂しそうだったなって思う。今も本当は寂しいはずなんだけど、寂しいっていうことを言う場所がなくなったっていうか。
→ 寂しさの消失
寂しいがなくなって、辛さと怒りが横行してるっていうのが僕の現状認識なんだけど。
→ 寂しさの消失
敷地いっぱいに自意識が膨らんじゃってる感じがして、本当はもうちょっと建蔽率を減らして、自分の家の門と玄関の間にあるスペースみたいなものが、寂しさと我々が呼んでたものだと思うんだよね。
→ 建蔽率
建蔽率が満杯の状態って、思ったこと全部言うみたいな、互いが互いに思ったことを全て言い合ってるSNS的な地獄みたいなの。
→ 建蔽率
今しっぽ先生にそれをお願いしている。しっぽ先生がある日失踪するかもしれない。
→ しっぽ先生