2025年5月12日
Dos Monos ワンマン翌日
前日の渋谷Spotify O-EAST初ワンマンを福尾が観に行った翌日の収録。 「あれは現実だったのか」から始まり、3人でやることの意味、練習できないものをどう準備するか、 自伝と日記、そして福尾の新しい概念「生き様2.0」まで。 カニ道楽のオブジェを蹴った若者の話が二人の共通言語として発見される回でもある。
話の流れ
- 0:24あれは現実だったのか福尾は終演後、震えながら「本当に良かった」と伝えた。中高生以来15年ぶりに大声を出した。
- 2:10音楽に期待するのをやめていたすべての音楽をアンビエントとして、流れているものとして聴くようになっていた。音楽を聴くとはこういうことだったと思い出した。
- 3:00自分のものだけはいいと思っているのではないか自分自身が人のものにそこまで食らっていないのに、自分のものは食らう。それは本当に成立するのか、という前日の落ち込み。
- 8:36ラッパーは最後は一人になりがち横並びで始めたクルーがそれぞれ自立し、呼んで呼ばれての関係になっていく。その手前の形式がいまだにエッジであることに福尾は驚く。
- 10:40一人の体に収まらないものを最初から作る長谷川白紙は最終的にピアノを弾いて歌う一人の体に行き着く。Dos Monosはそもそも一人の体に収まりきらないものを最初から作っている。
- 12:06二人に寄りかかっているTaiTanと没の声とバイブスがないと成立しない。一方で渡されたデモは「自分たちが入る余地があるのか」と不安にさせるものでもある。
- 17:263対3対1000サポートの3人、Dos Monosの3人、そして1300人のフロア。バンドとフロントマンという形とも違う配置。
- 18:24これでしかないフォーメーション黄金比でも完璧な構図でもない、バラバラなのにこれしかないというバランスが舞台上に成立する瞬間。チェルフィッチュや山縣太一のオフィスマウンテンで出会うもの。
- 20:49練習という概念がないゴダールは映画監督に練習の概念がないのが問題だと言った。Dos Monosの3人での練習も何をしていいか分からない。奇跡のいびつなバランスは本番でしか生まれない。
- 23:20運命論者という弱点すべてはこの奇跡の瞬間のためにあった、という感覚でギリギリ保たれている。Gottfried Wilhelm Leibnizのモナドロジーの予定調和。だから「荘子」ではなく「荘子it」と名乗っている。
- 28:54難しさ問題ふたたび森脇透青による『非美学』書評「難しいのはなぜなのか」。福尾にとっても難しいから難しくならざるを得ない。TaiTanや没に「無駄に難しい」と言われることと同じ問題。
- 30:36短ければ短いほどいいという加速主義TikTok以降のワーキングメモリで、それでも2時間心を震わせ続けられるバランス。カウンターをやるのでもなく、時代に完全に適合しきらない自分を透明化もしない。
- 34:18プログレッシブと呼ばれることへの抵抗プログレッシブ・ロックは特定の時代の限定的な文脈のもの。いま「プログレッシブ」と言っても全然プログレッシブではない。ここでも名前がない問題。
- 39:00カニ道楽のオブジェコロナ禍で大阪の若者がカニ料理屋の看板を蹴った事件。店主は「時短営業で迷惑もかけているし、私はクリスチャンなので彼を許します」とミヤネ屋で答えた。福尾はそれを蕎麦を食べながら見て日記に書いた。
- 41:40破壊し尽くさない不謹慎さ『北国の帝王』は無賃乗車がOKなのではなく、鬼車掌がぶち殺すところまで含めていい。田中宗一郎の万引き自慢の炎上も、捨ておけない気持ちがある。
- 44:24自由は動詞である東浩紀の訂正可能性のパロディ。自由という名詞では固定できず、自由になる・自由にするという形でその都度算出するしかない。
- 47:08自伝と日記自伝は老境に差しかかり半分死んだ立ち位置から人生を全体化する。日記は昨日とのつながりも明日とのつながりも分からないが、今日これがあったことはリアル。
- 48:41生き様2.0福尾がXで言い出したまだ実態のわからない概念。自伝的な生き様が1.0なら、日記的な生き様が2.0。VTuberが考えるのにちょうど良さそう。
- 51:26自分の1日を映画にしなさいゴダールが映画をこれから作る学生に言った言葉。GoProを額につけて24時間撮るよりコーヒーカップの10秒のワンショットのほうが強くなりうる。それを文章でやりたかったのが日記の始まり。
- 57:30純粋なプライバシーは想定できない日本人が最初に書く日記は宿題であり先生に見せるもの。外から言われて自分に内面があったことが事後的に確定する。誰にも言えないことを書くためのパブリックなガジェットが溢れている。
- 1:01:00全部がテロリズムになるレーザーアーティストMESとの打ち上げでの話。日本の公共空間ではハプニングが共存できず、スマホを見て静かにしているか地下鉄サリン事件かの両極になる。
- 1:02:00ティポグラフィカのTシャツ田園都市線で暴れた人が着ていたのがティポグラフィカのTシャツだった。文脈を作ろうとする菊地成孔のラディカルさと、それが全部バグに解消されてしまう状況。
- 1:06:30本筋から回収できない話で終わるタイトルに全く含まれない話で終わるのがこの番組の癖になってきた、という自己言及。
この回で出てきた言葉
- 生き様2.0福尾がXで言い出した、まだ実態のわからない概念。
- カニ道楽のオブジェコロナ禍に大阪の若者がかに料理店の看板オブジェを蹴って壊した事件。
- 北国の帝王無賃乗車をする若者を、恐ろしい車掌がぶち殺す映画。
- これでしかないフォーメーションシンメトリーでも黄金比でもなく、すごくバラバラなのに「これでしかない」というバランスが 舞台上に成立する瞬間。
- 3対3対1000ワンマンライブの配置。
- 自伝と日記自伝は老境に差しかかった半分死んでいる立ち位置から自分の人生を全体化して書く。
- ジャンヌ・ディエルマン主婦の一日をドライに撮った長編。
- Jean-Luc Godardこの番組の隠れた導き手。
- 自由は動詞である東浩紀の訂正可能性のパロディ。
- C'est pas moi自分の日常を撮るところから始め、ナレーションとイメージのコラージュになっていく。
- 全部がテロリズムになる日本の公共空間では、ハプニング的なパフォーマンスがギリギリ共存する感覚がなく、 みんながスマホを見てじっとしているか、地下鉄サリン事件のようなものが起きるかの両極になる。
- 荘子itの「it」なぜ「荘子」ではなく「荘子it」と名乗っているのか。
- 田中宗一郎荘子itを本名で「潤平くん」と呼んでくる人。
- ティポグラフィカのTシャツ田園都市線で暴れた人が着ていたTシャツが、菊地成孔がかつてやっていたバンド、ティポグラフィカのものだった。
- tofubeatsゲンロンで菊地成孔と荘子itの3人で行ったAIについてのイベントに登壇。
- 破壊し尽くさない不謹慎さ『北国の帝王』が良いのは無賃乗車がOKだからではなく、鬼のような車掌がぶち殺すところまで含めていいから。
- 長谷川白紙福尾が大好きな音楽家。
- 濱口竜介演技論の本を出している人として、まだメソッド化できていない自分と対比される。
- 本筋から回収できない話で終わる前回は失踪した友人の思い出話、今回は田園都市線とティポグラフィカ。
- ミゼリコルディア起きていることの俗っぽさや馬鹿らしさに比してメッセージが高邁すぎる神父のシーンがあり、 カニ道楽の店主のコメントと同じ構造だと二人は言う。
- MESワンマンのレーザー演出を担当した2人組。
- モナドロジーあらゆるものを細分化した先にはモナドしかないと言いながら、最後はそのモナドが神の予定調和で 調和しているという世界観。
- 森脇透青[[非美学]]について「難しいのはなぜなのか」という書評を書いた。
- 山縣太一チェルフィッチュから独立してオフィスマウンテンを主宰。
- Leos Carax『C'est pas moi』を荘子itが観た。
- 練習という概念がないゴダールは、映画監督には音楽家やスポーツ選手のような練習の概念がないのが問題だと言った。
この回からの引用
3対3対1000だったわけじゃん。その3と1000の間にDos Monosの3人がいるっていう。
→ 3対3対1000
すごいバラバラなんだけど、これでしかないバランスというか。黄金比とかではない変なバランスなんだけどこれでしかないっていう感じができる時がやっぱ一番上がるんだよね。
だから荘子じゃなくて荘子itって名乗ってるのも、荘子の世界観がやっぱ結構そういう世界観だから、もっとそこからずれるようなものを思考したいんだけど、と同時になんかすごいそれに後ろ髪を惹かれてるみたいな自意識があるんだよね。
自伝って自分が老境に差し掛かって、それにしても自分の人生とは何だったのかっていう、半分死んでる立ち位置に立って自分の人生を全体化して考えるのが自伝の書き方で。
→ 自伝と日記
荘子くんの言う通り、自伝的な生き様とはまた違う日記的な生き様のことを、多分言おうとしてるんだと思う。それが結局何なのかみたいなことはまだよくわかんないんだけどね。
→ 生き様2.0
生き方は単にその人の人生だけど、生き様ってそれがどう人に受け取られるかってことで絶対セットじゃん。
→ 生き様2.0