環境と社会は違う
かんきょうとしゃかいはちがう
『非美学』で書いた話として福尾が持ち出す。
番組より
社会っていうのは誰かが作ったものによって成り立ってるっていうのが違う。誰かが作ったものを通して自分もその中で何かを作っていくっていうのが人間の生き方で。
この項目について
生物学的な環境と人間の社会は全然違い、 社会は誰かが作ったものによって成り立っている。おしゃべりも、LINEも、家を片付けることも 「作ること」であり、すでに作られたもののなかに放り込まれて自分も作っていくのが人間の生き方。 だからゼロからのスタートはありえない。
この項目が出てくる回
関連項目
- 大二病大谷能生の言葉とされる。
- 社会人2年目の病大二病の反対側にある病。
- 建蔽率福尾の比喩。
- 寂しさの消失2015年ごろまで人はもっと寂しそうだった、という福尾の現状認識。
- 不用意に前提されるつらさみんな疲れているしみんな辛い、という前提の上に人文系のコンテンツが積み上がっている状況への違和感。
- ベタがないとメタもないSOUL'd OUTのDiggy-MO'は今でこそ半笑いの対象にされがちだが、 中学生の荘子itはマジでかっこいいと思って聴いていた。
- 5分間だけ神になるポップスターのライブは、ファンダムが思い描くスターがステージに立っているという意味で 宗教でしかない。
- あらゆるものはフェティッシュである画質の悪い映像やレコードのノイズに反応してしまうのは、メディア経験の刷り込みなのか、 原理的なことなのか。