読者が調教される
どくしゃがちょうきょうされる
本を読んで、その本が想定している読者に自分から進んでなろうとしてしまう感覚。
読む側が何らかのキャラクター性を宿さないと読めない本があり、 それは身動きが取れなくなる。「読者が単なる読者である状態」はけっこう難しい。 荘子itは福尾の文章にこれがない——読者が仕上がっていくのではなく、 その本の何かを使って何か新しいことができる——ところに前から惹かれていたと言う。 前回の「小説は報告から始めるべきでは」(読者に読者というロールを与える) とも通じる。
この項目が出てくる回
関連項目
- 癖と曲荘子itが「ずっと一番大事だと思っていること」として語った話。
- 私でなくもない者たちの親密権『置き配的』第10回。
- ターゲッティングは個人を一面化する最近の人文書が疲れている人・病んでいる人に当てられすぎている、 という福尾のツイートから。
- 固有名とトーンしか聞かれていないポッドキャストもYouTubeも、結局「ここで誰の名前が出た」ということと、 「優しそう」「聞きやすい」という人柄の話しか受け取られていない側面が けっこうある、と福尾は言う。
- 黒嵜想『アーギュメンツ』の編集。
- 홍상수年に2本ほど撮る多作な韓国の映画監督。
- 置き配的2025年11月刊。
- よく知りもしないくせに映画祭に審査員として呼ばれた映画監督が飲んでばかりで、 知り合いの家に遊びに行って奥さんとどうにかなる。