町山智浩映画評論家
まちやまともひろ
菊地成孔と喧嘩してもその後も同じ場に出ている例として挙げられる。
「一個の論争であいつらは仲が悪いということにしすぎ」という話の根拠。
2026年1月19日の回
荘子itがネットで初めて課金したのが町山のポッドキャストだった。 「これが正解だ」と強く出す人で、宇多丸との『ハート・ロッカー』論争が印象深い。 荘子itは、町山の映画の見方を全部否定する気にはなれない、と言う。
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関連項目
- ガチャガチャ感こそがリアルリアルなものは透明でシンプルなフォーマットに収まると思われがちだが、 むしろバラバラでまとまりがないことのほうがリアルだという逆説。
- 職業としての嘘哲学者もアーティストも「ほぼ嘘つき」に近い職業である。
- 5センチ浮いてしまう最初から高みにあるものを地上から仰ぎ見るのではなく、 同じ目線で読み進め聴き進めていたら、いつのまにか5センチほど宙に浮いてしまっている。
- 構造は後からついてくるコード理論やポリリズムの構造から曲を作るのではなく、 まだ分析の言葉がついていない現象から食らった体験をそのまま作品にする。
- わけのわからなさ複雑さや高度さのことではない。
- ドブ板選挙トークイベントで数十人を相手に話し、サイン会で一人ひとりと2、3分雑談する。
- ポストポストアポカリプス番組名の候補として挙がった福尾の言葉。
- 千葉雅也『非美学』の紀伊國屋じんぶん大賞受賞記念トークイベントで福尾と対談し、 その終演後に荘子itと福尾が初めて対面した。
この項目に言及している項目
- 映画の勉強会副題は演出について。
- 考察されて嬉しい作者はいない考察は作者の意図を当てようとするので、一見すると作者を大事にしている、 尊敬しているように見える。
- 自称・歌王三宅香帆の自己紹介。
- 疎密『置き配的』の中心にある対で、密がノイジーマイノリティ、疎がサイレントマジョリティを指す。
- 挑発的な定義と最大公約数的な定義福尾の『非美学』は「批評とは最も自由な散文である」という、 誰も一発では納得しない定義から始まる。
- なぜ働いていると本が読めなくなるのか新書大賞を受賞した大ヒット作。
- ハート・ロッカー論争宇多丸が『ハート・ロッカー』を「War is a drug、戦争というスリル中毒で 何度も戦地に帰ってしまう映画だ」と論じたのに対し、町山智浩が 「それは間違っている、最後はドラッグ中毒ではなく仲間のために戦地に戻る話に なっているんだ」と
- 批評は批評でダメになった批評の時代から考察の時代になっている気はするが、批評が元気をなくしたのは 考察が出てきたからではなく、単純に批評は批評で元気がなくなっていっただけ という側面もあるのではないか、と福尾は問う。
- 三宅唱Dos Monosのデビュー当時(2019年頃)にMVを撮ってもらった。
- 難しいと怖いは関係ない哲学は難しい学問だし、難しく書かなければいけない側面もある。
- 潜って書く誰かに向けて書いてはいるが、書き方としては語りかけない。