考察されて嬉しい作者はいない
こうさつされてうれしいさくしゃはいない
考察は作者の意図を当てようとするので、一見すると作者を大事にしている、 尊敬しているように見える。
だが「私の意図を汲み取ってくださってありがとうございます」 と思っている作者はおそらくあまりいない。そのすれ違いがすごく面白い、と福尾は言う。 三宅は『推しの子』で誰と誰がくっつくかの考察が盛り上がり、 最終的に作者が選んだ結末を批判する人がいたことを挙げる。 三宅の見立てでは、批評は「作者はこう考えているはずだ」という言い方をあまりしない。 「当てます」というYouTubeのサムネイルとの相性の良さが、考察を時代のものにしている。
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関連項目
- 疎密『置き配的』の中心にある対で、密がノイジーマイノリティ、疎がサイレントマジョリティを指す。
- 挑発的な定義と最大公約数的な定義福尾の『非美学』は「批評とは最も自由な散文である」という、 誰も一発では納得しない定義から始まる。
- 潜って書く誰かに向けて書いてはいるが、書き方としては語りかけない。
- 難しいと怖いは関係ない哲学は難しい学問だし、難しく書かなければいけない側面もある。
- 批評は批評でダメになった批評の時代から考察の時代になっている気はするが、批評が元気をなくしたのは 考察が出てきたからではなく、単純に批評は批評で元気がなくなっていっただけ という側面もあるのではないか、と福尾は問う。
- 町山智浩菊地成孔と喧嘩してもその後も同じ場に出ている例として挙げられる。
- 濱口竜介演技論の本を出している人として、まだメソッド化できていない自分と対比される。
- 三宅香帆「本好きの壁」を越えた人。