映画の勉強会書籍
えいがのべんきょうかい
副題は演出について。
映画のテーマや何を語っているかを探るのではなく、 画面の中でいかにすごいことが起きているかを読み解いていく。 ブレッソンの『ジャンヌ・ダルク裁判』が分からないまま来た三宅唱に、 濱口の見方が示され「本当に見方を教えてもらいました」となる。 次の作品では逆に三宅のほうが面白い見方を提示する。 正解は一つではないが「正解なんてないよ」と居直るのでもなく、 地に足をつけてみんなで勉強していく——その姿勢が考察と批評の二項対立を超える、 と荘子itは評価する。
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関連項目
- 疎密『置き配的』の中心にある対で、密がノイジーマイノリティ、疎がサイレントマジョリティを指す。
- 挑発的な定義と最大公約数的な定義福尾の『非美学』は「批評とは最も自由な散文である」という、 誰も一発では納得しない定義から始まる。
- 潜って書く誰かに向けて書いてはいるが、書き方としては語りかけない。
- 難しいと怖いは関係ない哲学は難しい学問だし、難しく書かなければいけない側面もある。
- 批評は批評でダメになった批評の時代から考察の時代になっている気はするが、批評が元気をなくしたのは 考察が出てきたからではなく、単純に批評は批評で元気がなくなっていっただけ という側面もあるのではないか、と福尾は問う。
- 考察されて嬉しい作者はいない考察は作者の意図を当てようとするので、一見すると作者を大事にしている、 尊敬しているように見える。
- 町山智浩菊地成孔と喧嘩してもその後も同じ場に出ている例として挙げられる。
- 濱口竜介演技論の本を出している人として、まだメソッド化できていない自分と対比される。