2026年7月6日
一緒に上がってこう
保育士さんと調理師さんに濱口竜介の新作を勧められた話から、試写に呼ばれる/呼ばれない問題へ。 岩崎の長編一作目を観て、江藤淳『成熟と喪失』を読み直したら他人事ではなかった。 そして「一緒に面白くなっていこう」——同世代の仲間という「いつもここから」性について。
話の流れ
- 0:20保育園で映画を勧められる子供を送ったら保育士さんと調理師さんに濱口竜介の新作を勧められた。ポッドキャストを聴いてくれているのだろう。
- 1:40試写に呼ばれる/呼ばれないこの試写には呼ばれてこの試写には呼ばれない、ということは今こう思われているのか——と考え出すと止まらない。呼ばれたり呼ばれなかったりする、どれもありがたい、くらいでいい。
- 2:10お膳立てされて見るのは寂しい好きなものも向こうから差し出されて見るようになるのは、それぞれ寂しくない?
- 3:20岩崎の長編一作目実家のコンビニがモチーフ。映像クリエイターになった自分と、永遠にくすぶっていたかもしれない自分がパラレルにありうる——たけしの『TAKESHIS'』のような「ifストーリー」に見えてしまう。
- 6:40身近な人間が背を分厚くしていくTaiTanの初めての大学の演劇作品のときもそうだった。友達だからこそ「あのシーンはあっちじゃないんじゃない」と言える。
- 7:20画面の中で本当に起きていると信じられるか象徴として見えてしまうシーンではなく、ありえないことなのに本当にそこで起きているんだと信じられること。それが映画の緊張感。
- 7:50成熟と喪失を読み直す学生時代は「一応押さえておきましょう」でしか読めなかった。結婚して子供がいる今読むと、他人事じゃないぞとなった。「これ自体が文学じゃん」。
- 11:40読まない理由に乗っかってしまう江藤淳には批判もあるし、読まない理由はいくらでもある。特に若いとそれに乗ってしまう。下の世代にとってはもう「博物館レベル」になってしまう。
- 13:50目クリクリのZ世代北海道のギザドド、仙台の東北大DJサークル。やっていることはアヴァンギャルドなのに、すれっからしではなく真っ直ぐに面白がっている。
- 1:07:10一緒に面白くなっていこう岩崎の周りには「同世代みんなで上がっていこう」という感じがある。まだそれを言い続けられる感覚があるのはすごくいい。
- 1:09:40いつもここから性人間には「いつもここから」と戻れる場所が必要で、そればかりだと成長がないが、1日に何時間かはそれに触れていないと本当にきつい。
この回で出てきた言葉
- 一緒に面白くなっていこう岩崎の周りには「同世代みんなで上がっていこう」「一緒に面白くなっていこう」 という感じがある、と荘子itは言う。
- いつもここから性人間には「いつもここから」と戻ってこられる場所が必要だ、という話。
- 岩崎TaiTanの大学の同級生で、荘子itとも中1から(=タイタンの大学同級生かつ荘子itの旧知) の付き合い。
- 江藤淳『成熟と喪失』。
- 画面の中で本当に起きていると信じられるか映画になったとき、画面内で起きていることとメタ視点が分離している状態だと 面白くない、と荘子itは言う。
- 試写に呼ばれる、呼ばれない「この試写には呼ばれてこの試写には呼ばれない、ということは 今こう思われているのか」——解釈し出すと止まらない。
- 成熟と喪失戦後民主主義の中で生きる男が、近代化によって前近代的な肉感的な母子関係を失い、 さてどうするのか——を論じた文芸評論。
- 保育園で映画を勧められる子供を保育園に送ったら、保育士さんと調理師さんに濱口竜介の新作を勧められた。
- 目クリクリのZ世代北海道ツアーで対バンしたギザドド/ドゴ。
- 読まない理由に乗っかってしまう江藤淳『成熟と喪失』を荘子itは大学時代に読んだが、 師の系譜には「良くないんだけど一応押さえておきましょう」という前提があり、 SNSでもそう言われているので、ベタに読み込む気が起きなかった。
この回からの引用
結局人間、いつもここからみたいな場所は必要で。そればっかりだと普通に成長がないからダメなんだけど、とはいえ1年に数回、あるいは1週間に1回、あるいは1日に何時間か、それに触れてるものがないと本当にきついよな。
→ いつもここから性