記と紀
きとき
古事記の「記」は言偏で、日記の記でもあり、国内向けの物語として書かれた。
日本書紀の「紀」は糸偏で、漢文で書かれ、海外向けに日本を紹介するものだった。 日記の記は内向きのほうを使っているが、では本当の意味でインナーなものはあるのか。 プラトン『パイドロス』でソクラテスは話し言葉のほうが魂に近いと言うが、 それを書き記したのはプラトンであり、デリダはその複雑さを読み込んだ。 魂そのものの、誰にも向けられていない言葉などなく、常にすでに誰かに向けられている。 だから対内/対外という区分けも本当は無効なのではないか。 荘子itは「日本書紀を略したら日記だ」という言葉遊びから 「日本書紀のオルタナティブとしての日記をやっていきたい」と言う。
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関連項目
- 近所福尾がいま書いている本の主題。
- 文化こそが国防軍事力や核による抑止ではなく、リスペクトと愛着があるから揉めたくない、という形で 平和が保たれるのが本当は一番いい。
- 引き裂かれている状態から出発する哲学はヨーロッパのもの、ヒップホップはアメリカのもの、というのは前提にしていい。
- 言葉遊びの擁護同音異義や掛け言葉といったポストモダン哲学的なやり口は、いま「上手いこと言ってる感が ダサい」という風潮のなかで嫌われつつある。
- 福嶋亮大福尾との対談で「台湾有事が来たら、君らがやってることは何の意味もなくなりますよ、 何も残らないですよ」と言った。
- 浜崎洋介荘子itの大学時代の恩師にあたる保守論壇の人。
- 松岡正剛国風文化と中国的な文化が並存しつつ、どちらが優位かが入れ替わりながら歴史が進むという二軸の日本観を持っていた人として名前が挙がる。
- 左手のない猿都内に出没した左手を失った猿のニュースをきっかけに書いたエッセイ。