風通しと埃
かぜとおしとほこり
海や川はずっと流れ、波打っていて、何かがそこに滞留し続けることは基本的にない。
番組より
埃がたまるような閉じられた空間に入っていくってことと、その外をいろんなものが流れたりしてるっていうことの対比があるってことだよね。
これが本当にただの美しい自然の中にこの建築があって面白いのかっていうことだよね。この周りがそれこそゆめタウンとかホームセンターとか、でっかい倉庫街が隣にあったりとか、その関係性の中にあるから、この建築がもっと面白く見える。
この項目について
それに対して美術作品は、録音したり録画したり物を作ったりして、 形をメディウムに定着させる——動かないものを作ることで思考を起動する。 そのコントラストがはっきりしているのがいい、と荘子itは言う。 日本庭園に必ず水があるように、水が流れていることが大事なのではないか。 福尾はそれを「風通しがいい空間には埃もたまらない」と受け、 埃がたまるような閉じられた空間に入っていくことと、 その外をいろんなものが流れていることの対比だと言い直す。 だからこの建築が面白いのは、ただ美しい自然の中にあるからではなく、 周りにゆめタウンやホームセンターやでっかい倉庫街があって、 その関係性の中に置かれているからだ——四角い部屋もコンテナみたいだし。 のちに疎密と呼ばれる対比が、まだその名前を持たないまま 空間の話として出てくる場所。
この項目が出てくる回
関連項目
- 非対称性を肯定する世界にはやる側とやられる側、金持ちと貧乏人といった非対称性がある。
- あらゆる芸術作品は暴力のモニュメントである恐ろしい暴力を目の当たりにして受け取ったショックが芸術作品に変換される。
- 真顔で詰め寄る「お前は悲劇を忘れるな」と真顔で詰めかかるだけでは、当事者性を感じられない人はむしろ 距離を置いてしまい、本当に語り継がれなくなっていく。
- 花火と爆弾音楽でぶち上がること、花火を見てぶち上がること、爆弾の爆発を見てぶち上がることは 本当は繋がっているのに切り分けられている。
- 展示のなかで変なことをする長谷川新のキュレーションした展示のなかで、展示内容と全く関係ないドゥルーズ『シネマ』の 講義を5時間ぶっ続けでやる。
- 長谷川新福尾が展示のなかで5時間のドゥルーズ講義をしたり、展示と関係のないエッセイ連載をしたりした、その展示のキュレーター。
- 川久保玲ヨウジヤマモトとともにパリコレで、黒がタブーだった時代に薄汚れて引き裂かれた黒い布のような服で ランウェイを歩かせた。
- 宮台真司ALPS処理水の海洋放出に絶対反対だと言っていた。