2025年6月9日
はじめての公開収録
広島・下瀬美術館「周辺開発状況」展での初の公開収録。美術館エントランスの、 物販とレストランの音がする横で「寄ってらっしゃい見てらっしゃいスタイル」で喋る。 前日に訪れた原爆ドームの話から、原爆ドームの前で笑顔で写真を撮っていいのか、 ダークツーリズム、そして「あらゆる芸術作品は何らかの暴力のモニュメントである」まで。
話の流れ
- 0:20ゆめタウンとYou and Iジェーンの映像作品にあった「あなたと私の影」を頭に入れたまま屋上に行ったら「ゆめタウン」が見えた。
- 2:52原爆ドームにもう一度5年前にDos Monos3人で行った。『Dos Atmos』で太陽と原子力について考える作品を作ったからには、もう一度ちゃんと見に行かなければと思った。
- 4:45笑顔でピースで写真は撮れるか原爆ドームの横でフリー・パレスチナの演説をする被爆二世か三世の人がいる横で、外国人観光客が笑顔で写真を撮っている。ハワイのパールハーバーでは笑顔でピースはしないだろう、という非対称性。
- 7:46ダークツーリズムの軽さ東浩紀『観光客の哲学』。軽薄な動機で来る人も一定の距離を持って引き受けないと、狭い範囲にしか伝わらなくなる。真顔で詰め寄って「悲劇を忘れるな」と言うだけでは、当事者性を感じられない人が距離を置いてしまう。
- 11:40原爆ドームの美的なもの公に言いづらいが、鉄骨が剥き出しになった痛々しい傷とレンガの面影が共存する姿には、展示されている美術作品との美的なつながりがある。
- 14:54埃と錆DustとRust。作ったときにはなかったものが自然のなかで付加されていく。美術館の収蔵庫では作品は人目に触れない時間のほうが長い。
- 19:00ミュージアムは美術館でも博物館でもあるファインアートは人間の手による優れたもの、博物館は自然の面白いものも並べる。語源のヴンダーカンマーでは珊瑚も結晶も美術品も一緒に並んでいた。
- 24:00絵の前で1分間深呼吸する福尾の指導教員だった平倉圭の鑑賞法。目をつぶってもそこに何があったか完全に頭のなかで再現できるまで見る。「それぐらいやらないことの意味が分からない」人。
- 25:20ちゃんと見ましたから許してください、はダメ楽をしていいという話ではなく、ちゃんと見る・ちゃんと勉強するのとは別の責任が発生する。映画をたくさん見ていることを自信にして、何も作っていないのに偉そうになるのはダメ。
- 27:40花火と爆弾音楽でぶち上がることと、花火でぶち上がることと、爆弾の爆発でぶち上がることは本当は繋がっているのに切り分けられている。その無意識の切り分けで人は正気を保っている。
- 33:00これは血じゃない、赤だゴダールの操作。焼き物が焼かれることと死体が朽ちることを並列に置くのとは逆向きの、記号としての異化。
- 35:24非対称性を肯定する非対称性がなくなるように頑張ることも大事だが、非対称性があるという事実から何かを汲み出せるのが哲学と芸術の力。極端に言えばあらゆる芸術作品は何らかの暴力のモニュメントである。
- 39:00対称性を確認する場も要る本当は虫も殺したくないし海も汚したくない。みんな本当は平和がいいと思っている。その対称性を確認する場も絶対に必要で、両方の協調が大事だと荘子itは応じる。
- 46:00展示のなかで変なことをする批評家長谷川新のキュレーションした展示のなかで、展示と全く関係ないドゥルーズ『シネマ』の講義を5時間ぶっ続けでやった。展示作品をまんべんなく解説する仕事ではない、というスタンスの表明。
- 52:00くしゃくしゃの絵と風船精緻な絵がくしゃくしゃになって額に入っている作品と、二部屋先にある同じ絵の綺麗な状態。柔らかい風船が固いもので割れる寸前まで締めつけられている立体。
- 58:00リアルタイム感がない新作が多いはずなのに、いつからあったのか分からない。100年前からあったと言われても納得しそうなのに、よく見ると今でしかありえない要素が埋め込まれている。時間の方向感覚がなくなる気持ちよさ。
- 40:55風通しと埃風通しがいい空間には埃もたまらない。埃がたまるような閉じられた空間に入っていくことと、その外をいろんなものが流れていることの対比。
この回で出てきた言葉
- あらゆる芸術作品は暴力のモニュメントである恐ろしい暴力を目の当たりにして受け取ったショックが芸術作品に変換される。
- 風通しと埃海や川はずっと流れ、波打っていて、何かがそこに滞留し続けることは基本的にない。
- 川久保玲ヨウジヤマモトとともにパリコレで、黒がタブーだった時代に薄汚れて引き裂かれた黒い布のような服で ランウェイを歩かせた。
- 観光客の哲学ダークツーリズムの軽薄さを単に否定しても仕方がない。
- 周辺開発状況広島・下瀬美術館のグループ展。
- 展示のなかで変なことをする長谷川新のキュレーションした展示のなかで、展示内容と全く関係ないドゥルーズ『シネマ』の 講義を5時間ぶっ続けでやる。
- 21世紀のスタルジア「いつからあったのか分からない」という福尾の感想に、荘子itが自分の曲名を重ねる。
- 長谷川新福尾が展示のなかで5時間のドゥルーズ講義をしたり、展示と関係のないエッセイ連載をしたりした、その展示のキュレーター。
- 花火と爆弾音楽でぶち上がること、花火を見てぶち上がること、爆弾の爆発を見てぶち上がることは 本当は繋がっているのに切り分けられている。
- 非対称性を肯定する世界にはやる側とやられる側、金持ちと貧乏人といった非対称性がある。
- ヒロシマ・モナムール「広島で実は何も見ていない」という話。
- 真顔で詰め寄る「お前は悲劇を忘れるな」と真顔で詰めかかるだけでは、当事者性を感じられない人はむしろ 距離を置いてしまい、本当に語り継がれなくなっていく。
- 宮台真司ALPS処理水の海洋放出に絶対反対だと言っていた。
- ゆめタウン映像作品の「あなたと私の影 / You and I」が頭にある状態で屋上の展望スペースに行ったら 「You Me Town(ゆめタウン)」が見えた。
- 寄ってらっしゃい見てらっしゃいスタイル公開収録の会場が美術館エントランスの脇で、人が行き交い物販とレストランの音が するなかで喋ることになった。
この回からの引用
真顔で詰め寄って「お前は悲劇を忘れるな」みたいな感じで詰めかかるだけでは、それに当事者性を感じられない人たちはむしろ距離を置いちゃって、本当に語り継がれなくなっていくから。
→ 真顔で詰め寄る
埃がたまるような閉じられた空間に入っていくってことと、その外をいろんなものが流れたりしてるっていうことの対比があるってことだよね。
→ 風通しと埃
これが本当にただの美しい自然の中にこの建築があって面白いのかっていうことだよね。この周りがそれこそゆめタウンとかホームセンターとか、でっかい倉庫街が隣にあったりとか、その関係性の中にあるから、この建築がもっと面白く見える。
→ 風通しと埃
その非対称性があるっていうことの事実に、そこから何かを引き出したり汲み出したりすることができるのが哲学とか芸術の力だと僕は思っていて。
極端に言うとあらゆる芸術作品は、何らかの暴力のモニュメントとしてあると思っているんだけど。