象徴化の過程で失われるもの
しょうちょうかのかていでうしなわれるもの
大きな事件が起こると、犯人をモンスター化し「その背景には日本社会のこういう歪みがあって」と 容易に意味づけできてしまう。
番組より
その象徴化の過程で失われてる、普通に被害者のリアルな実態みたいなものが本当に思考不可能なものになっちゃってる。本当は思考不可能なものとかじゃないはずなんだよね、家族とかにとっては。
この項目について
だがその象徴的な意味づけをした途端、個々の被害者が 「障害者であったこと」「施設に入所していたこと」「被害者であったこと」という のっぺりとした属性の下でならされてしまう。相模原の事件をめぐる佐々木健の展示と、 福尾によるそのインタビューをめぐる話。荘子itは、双眼鏡の先の北朝鮮の人々に 想像力が持てないことと同じ感じがする、と応じる。
この項目が出てくる回
関連項目
- リアリティのゲージが上がる韓国でKanye Westのライブも観たが、写真家の展示やDMZのツアーを通して 韓国と北朝鮮の分断について「自分のなかのリアリティがぐっと増す」感覚のほうが充実していた。
- 二重の閉じ込め相模原の事件では被害者が匿名報道された。
- 自分のことも書かなければならない自分に触発を与える他者について書く、寄り添うというのは、実は自分を投げ出しているようで 投げ出していない。
- 言える券を配ってしまう自分の意見が広まって使ってもらえるのは嬉しいが、それが半分「何かを言うための口実」に なってしまうと嫌だ。
- 年を取ると自動的に分かる33になって、リアルポリティクスについて自分なりの意見を持てるようになってきた感覚がある。
- 事実上の貴族院政権運営能力と選挙に受かる能力は全く別のもの。
- 佐々木健兄の公さんが自閉症で、相模原の事件が起こったとき、施設名がまだ報道されておらず 兄が巻き込まれたのではないかという恐怖を味わった。
- 高橋健太郎北海道にルーツがあり、沖縄に住んでいて、いまは京都。