虚構に上書きされた風景が原風景
きょこうにうわがきされたふうけいがげんふうけい
佐々木友輔の風景論の連載を荘子itが読んで。
風景のスクリーン・プラクティス 第8回 大島渚と庵野秀明の虚構=風景論(2025-12-10)
大島渚の世代にとっては 現実と虚構が綺麗に分かれていたが、郊外化がどんどん進んだ後の世代にとっては、 その「現実の風景」がもはや完全に上書きされている。 隠蔽された風景それ自体が原風景である、という原体験から次の世代に何ができるか。 庵野秀明も同じ問題意識だったはずなのに「現実に帰れ」という (成功したオタクとしての)メッセージになってしまった。 旧劇エヴァはそれが空回りしていることが魅力だったが、シン・エヴァは 綺麗に完結しすぎている。現実と虚構がないまぜになったものこそが現実だ、 という視点をどう正確に守っていくか。 吉本隆明の「関係の絶対性」——人間関係が意思決定もイデオロギーも 何を現実と感じるかも規定してしまう——ともつながる。
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関連項目
- 状況論につきまとう根本的な問題「推し活が今こうなっていて」というような話をしながら、 福尾はいつも「これって本当なのかな」と思っている。
- 痛みの強度データの扱いがおかしい/解釈が多様だ、という応酬をいくらやってもしょうがない。
- 最適化されない恥著者やクリエイター自身がSNSや喋りの場で人格を出していくこと自体は 粛々とやったほうがいいこと(D2C的に一番理にかなってもいる)。
- 愚直にやるだけで差がつく時代いまはほぼ99%が状況に対するリアクションと人間関係の話に終始しているから、 愚直に自分の好奇心と実験精神だけを追求しているだけで差をつけられる。
- 魚豊荘子itが子育てと制作の合間を縫って「二人だけで会って話した」数少ない相手として、 福尾と並んで名前が挙がる。
- TaiTanDos Monosのメンバー。
- 佐々木友輔風景論の連載で庵野秀明と大島渚を論じ、吉本隆明の「関係の絶対性」を扱っている。
- アスファルト手持ちカメラで東日本大震災の被災地の近くの街をずっと歩いているだけの映像作品。