考察と批評
こうさつとひひょう
三宅香帆『考察したがる若者たち』を受けて。
考察は正解を探るもので、 批評は突き詰めれば感想である——という対比はできるが、 「批評のほうが知的で、考察はコンテンツ消費をクイズと履き違えたバカな人たち」 という対立では絶対にない、と福尾は言う。 ワンピース考察の「シャンクス双子説」「ヒグマ最強説」はもはやネタで、 正解を求めるというフォーマット自体を利用した遊びになっている。 荘子itはこれを推しの構造と同じだと見る——自分が推している対象が 正解だと思っているわけではないのに、建前としては正解ということにする。 メタ意識とベタが融合していて、「本当の感想」は言われない。 福尾の『置き配的』の「いま批評の危機ではなく感想の危機だろう」という 議論ともつながる。
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関連項目
- 言語化と対比すべきはお気持ち「言語化」という言葉は、人を褒めるか自分をけなすかのどちらかでしか使われない (「言語化能力は私にはあります」と言う人はいない)。
- 言葉にすることが考えることだ「言語化」という枠組みでは、まず内面に気持ちがあって、それを言葉に変換する、 という順序が前提になる。
- 聖なる価値柳澤田実の連載「ポップカルチャーと聖なる価値」のキーワード。
- 私たち性の不在柳澤田実が「デサイロ」で荘子itと組んだときのテーマ。
- 出口ではなく糸口「この状況は閉じている」と言った直後に「でも私はそこから出ています」と 続けてしまう身振り——哲学がやりがちなこと。
- もっと手前にある何か福尾のエッセイ講座のグループ面談で起きたこと。
- できるようになることを教えるつもりはない福尾は面談をやってみて「文章を書くのを教えるのがめっちゃうまいかもしれない」 と思った。
- Kanye West韓国で荘子itが初めてライブを観た。