2025年8月11日
不合理なものの保存、質問募集
一度撮ったものをお蔵入りにして撮り直した回。前回プライベートな話をしすぎたことへの反省から、 日記におけるプライベートとパブリックの線引きへ。後半はボクシングの死亡事故をめぐって、 「不合理なものを保存するためにこそ知性が動員される」という話。 そして「非社会的なものがないと社会はダメになる」。
話の流れ
- 0:122回目の撮り直し生煮えの話に踏み込みすぎ、Dos Monosの会議の内容にも触れすぎたためお蔵入りに。二人とも内側がぐずぐずした状態で会って喋ってしまった。
- 4:50喋りすぎたことへの反省韓国旅行の回で、ほぼ初対面の人や公的な地位の人の話を主観的な解釈込みでベラベラ喋ってしまった。「聞いてないだろうから言っちゃうけど」という男子校的な軽口の癖。
- 11:00プライベートとパブリックは簡単に線引きできない日記にも公共性と私秘性の両方がある。生々しくなるものや人に迷惑がかかるものを避けても日記がリアルでなくなるわけではない。その都度リアリティラインを探って発見していく。
- 14:00痛がゆいコミュニケーション言っちゃいけないことを言ってしまう領域は、それ自体がダメなのではない。むしろその領域を残すためにこそケアや合意形成や配慮が必要になる。
- 15:00致命傷を負わせられそうになる注意注意されるのはいいが「そういう喋り方をするお前はダメなんだ」というレベルまで踏み込まれることがある。そのコミュニケーション自体が元来悪だという前提で詰められる。
- 16:00ボクシングの死亡事故同じ興行で二人が試合後に倒れ、くも膜下血腫で亡くなった。ファイトスポーツをどうするのか、という抜本的な議論が起きている。
- 18:10不合理なものを保存するためにこそラウンド数、グローブの厚さ、メディカルチェック、計量のタイミング。ゼロイチの議論ではなく、不合理な競技をどう存続させるかを考えるために議論が一気に具体化している。
- 21:50軽量級のほうが危ない一発で倒れるほどでもないダメージを頭部に受け続けることのほうが負荷が高い。水抜きで脳の水分量が戻らないまま試合をすることも。二人とも自分の足でリングを降りていた。
- 19:40美談としてのパッケージング亡くなった選手の試合を年間最高試合にするなど、村社会的にパッケージングしてきた。その態度への批判はこれまであまりなかった。
- 26:00戦争もまた不合理である理由はあるし欲望には忠実だが、普通の倫理観とは違うことを目的にしている。それに頷ける理由を作るために国際的な説明責任が働いている。
- 29:50非社会的なものがないと社会はダメになるいま誰もが人間の話と社会の話しかしていないから煮詰まるに決まっている。「このものの話をしよう」ということにしておかないと立ち行かない。そのために芸術も批評もスポーツもある。
- 36:50中1の日誌を10日間書かされた本来はクラスで1日ずつ回すものが、なぜか自分だけ罰として連続で。ネタが尽きて「音楽を聴くのが好きです」ばかり書いた。文量を稼ぐための文体がその時点で編み出されていた。
- 43:56県大会優勝者が校長室に呼ばれた図伊藤潤二との対談動画で、3人が同じ姿勢で並んで座っている。ホラーとは何かではなく、中高男子校とは何かの対談として見てほしい。
- 46:30阪大はエアポケット西日本の地方公立から来た人しかいない。関西の私立中高から来るような人は京大か同志社に行く。エリートですという人を一人も見たことがない、いい塩梅の大学だった。
- 1:06:30引用リポストをしていいのか引用されること自体は嬉しい。だが自分の言葉が、誰かを批判するときの便利な道具として使われるのは「ちょっとなんかな」と思う。
- 1:08:47著者を喜ばせるための引用ではない相手がどう思うかを気にしているうちはまだ浅瀬。著者本人に「それは違うんだ」と言われてもいいという覚悟で自分の考えを述べることのほうが本当のこと。
- 1:10:05表現者だから政治を知らねばならないのか義務感や焦りはない。漠然と知らなきゃいけないと思うと、何もできなくなるか、ホットな時事ネタに飛びつくかのどちらかになる。自分の中の必然性で調べるべきものが出てくる。
- 1:13:10セブンの選べる産地ブレンド二人ともキリマンジャロ。コーヒーは濃くて苦いほうがうまい、という信念。福尾は「水出しコーヒーは思想が嫌だ」。
この回で出てきた言葉
- あしたのジョー荘子itが人生でほぼ最初に読んだ漫画。
- 痛がゆいコミュニケーション言っちゃいけないことを言ってしまう、というタイプのコミュニケーション。
- お蔵入り回この回は2回目の撮り直し。
- 県大会優勝者が校長室に呼ばれた図Dos Monosと伊藤潤二の対談動画について、福尾が言ったこと。
- 自分が何に引っかかるか「表現を仕事にするなかで、政治について知らねばならない・語れるように ならなければならないという焦りや義務感を感じるタイミングはありますか」 というリスナーの質問への答え。
- 中1の日誌を10日間書かされた母校の恩師に招かれて訪ねたとき、当時の通信簿と日誌を見せられた話。
- 著者を喜ばせるための引用ではない「引用リポストを使っていいのか迷っている」というリスナーの質問への答え。
- Travis Scottライブで死者が出てバッシングを受けた。
- 日記のリアリティライン日記はプライベート、エッセイや評論はパブリック、と大雑把に分けられそうだが、 日記にも公共性と私秘性の両方がある。
- 非社会的なものがないと社会はダメになるいま誰もが人間の話と社会の話しかしていないから、煮詰まって出口がなくなるに決まっている。
- 不合理なものの保存ボクシングは二人でお互いの頭部を殴り合うという、客観的に見れば完全に不合理な競技で、 その危険さ自体が競技の価値にもなってきた。
- 水出しコーヒーは思想が嫌だ二人ともセブンカフェの「選べる産地ブレンド」でキリマンジャロを選ぶ。
この回からの引用
プライベートなものとパブリックなものって、そんな簡単に線引きできるものじゃないっていうのが、かえって面白いことだとも思ってて。
そういう領域を残すためにこそ必要ないろんな具体的なテクニックがあるはずっていうことだと思うんだよね。
一言で言うと、不合理なものを保存するためにこそいろんな知性が動員されてるっていう状況は、すごく興味深いものだなと思って見てるんだよね。
その不合理性を保存するために、めちゃめちゃ具体的な、その時に一番頭を使わなきゃいけなくなるっていう。
つまり人間の話とか社会の話ばっかしてるとみんなダメになるから、このものの話をしようっていうことにしとかないと、なんか立ち行かなくなるっていうか。
発言主を喜ばせるための引用リポストなんてしてもしょうがないんだと。お前が本当にクリティカルなことをするために引用リポストというのはするんだみたいな。そして引用元の人間と仮に見解が割れたとしても、本来の目的がそうであったならばそれは美しい行為なんだという、プライドにおいて引用した方がいい。
自分が何に引っかかるかっていうのはすごい大事にした方がいいよね。漠然とみんなが話題にしてるとかっていうこととは別に、自分なりの入り口って絶対どっかにあるはずだから。